2018年4月25日水曜日

ネパール地震の震源地 ゴルカの学校視察



2015年4月のネパール・ゴルカ地震によって、震源地ゴルカの建物は壊滅的な被害を受けました。ゴルカはOKバジさんの所に出かけるときに雇った日本語ガイドのBB(右写真)の家族が住む場所でした。

地震の直後、BBと連絡が取れなくて心配しましたが、家は建物がひとつダメになってしまったのももの、誰も怪我をすることもなく無事だったと後から分かりました。その時の彼の「亡くなってしまった人達も、自分だけが残されてしまった人達もいるんだから。」という言葉が印象的でした。
自分自身も地域へのボランティア活動をしていた彼は、観光会社の社長でしたが、観光には誰も来なくなったので地元でボランティアをしていました。

その彼からの、是非ゴルカを視察に来て欲しいという要望で、出かけました。




















地震の後、ネパール政府が被災地への外国人の直接寄付を禁じたため、復興は進まず、学校の校舎も民家もうち捨てられたままにまっています。ゴルカの人達は「2年待っても政府は何もしてくれないから、自分たちで何とかするしかない。」と淡々と答えます。




大きな学校も小さな学校も同じように被災していました。2年の月日は長く、草が生命力の強さを示している所も多々ありました。
しかし、校舎を新築するには膨大なお金がかかり、復興はたやすくなされるものではなさそうです。




廃墟のようになった校舎の横に
借りの校舎が建ち並ぶ姿がどこにも見られました。

救われるのは、子ども達の笑顔が見られることです。
冬は寒いけど、雨期は雨が入って来るけれど、今は大丈夫。
「学校大好き!」という子ども達に救われます。





山の上の小さな子達しかいない小さな学校にやってきました。
BBの従兄弟だという校長先生にBBからボールを渡してもらいました。
早速子ども達にあげると、大歓声!

サンダルの子も裸足の子もみんな大はしゃぎでボールに群がります。

バレーボール競技をされる方ごめんなさい。バレーボールを蹴るなんて!と思われるかもしれないんですが、裸足の小さな子達にはサッカーボールは堅すぎるんです。






















女の子達が男の子達とのびのび張り合っています。

ネパールは男尊女卑の激しいところで、人の前に立ったら物が言えない女性が圧倒的に多いのです。
教育をつけてもらえるのも男子優先。そんな中で、この学校の女の子達は何とのびのびとしたことか。それに男の子も女の子も笑顔が素敵なのです。




















先生方の教育方針のたまものだと思います。山の中の公立の本当に小さな小学校に素敵な教師集団がいました。

暖かさ、誠実さが伝わる学校運営に本当に嬉しく、頭が下がる思いになりました。

どこの学校にもあげたわけではありませんが、この学校の子供達にはノートとペンを配らせて貰いました。




















あっ、そうそう。
頭を包むようにしているこの帽子、小さい子達だと被っている子が結構多いのですが、これを被っていると風邪をひいたり病気になったりしないと言われているようです。


山の中のコンピューター教室

 OKセンターの朝です。

右は昨日修理したタイヤです。チューブレスと書いてはありますが、中にしっかりチューブが見えます。σ(^_^;)



村に到着すると、既に生徒や村の人達が集まっています。
山の頂上に切り開いた土地に立つ学校です。バレーボールのコートも作られています。

よく、貧しい国ではボールひとつでできるサッカーが盛んだと言われます。確かにサッカーはボールひとつでできるのですが、山間部の平らな土地がほとんどない場所ではなかなか楽しむことができません。その点、バレーボールは校庭の写真にあるように、ポールが2本と紐が一本必要ですが、狭い土地でもプレイが可能なのです。


早速、教室のテープカットです。皆さんお待ちかねでした。

テープカットの写真で私の後ろにいる方は、この学校の運営委員長(学校の資金面を調達する、校長先生とは別のトップの方)さんです。お若い頃、グルカ兵としてイギリスの傭兵をされていたということで、肩にエポレットのついたグルカ兵の正装をされているようでした。



グルカ兵は勇猛果敢な戦闘集団として有名で、グルカナイフ一丁でとかマシンガン一丁で何十人を相手にとか言った武勇伝が数多くあります。
私達が支援している地域に多く住むマガール族を代表とする山岳民族出身の兵士です。1982年のフォークランド紛争の時、イギリスが最初にグルカ兵を送ったので、前線のアルゼンチン兵が逃げ出したと言われています。それくらい勇猛果敢なのです。

ネパールでは知力・体力の頂点はグルカ兵です。悲しいことかもしれませんが....



コンピューターが並びました。

先生方の夢、山の中のコンピューター教室です。
最近では山の中にも電気の通る村が増えてきました。
生徒達が、街の子達に負けないくらいコンピューターのスキルを付けてくれると嬉しいと思います。



私と一緒に写っているのが、私達が設立した先生のお給料基金で新たに雇われた先生です。
算数・数学を教えて下さると言うことでした。

私達の基金では、政府に雇われた先生達の半分のお給料も出せないのですが、子ども達のために働いて下さるのです。










ここでは、東京の高校生達が集めてくれたバレーボールをバジさんから渡して貰いました。



「ボールをちゃんとキャッチできたらあげるよ。取れなかったらあげないんだよ。」というバジさんの言葉を素直にそのまま信じる生徒達は、「取れなかったら大変!」という責任感の固まりでボールを取りに来ます。

誰一人ボールを見ていない生徒はいないでしょ?
みんな絶対欲しいんです。こんなに欲しがってくれるなら、また持ってきたいと思ってしまいますよね。(⌒▽⌒)




セレモニーの後は踊りの披露です。ネパールのマガール族の人達は踊りが大好きです。お祭り時なんかには一晩中踊り続けたりする人達もいるようです。

確かに、他の楽しみというのはなかなか見つからないのです。

以前、校舎の引き渡し式の後、夕食を待っていたら、いつまで経っても呼びに来なかったことがあります。村人が踊りが楽しくなって作るのを忘れていたんです。日本から多額の寄付をしてくれたドナーが来たのにと、バジさんが珍しくお怒りになったことを思い出します。

この女の子は、多分小さな子達の中で一番上手に踊れる子なのだと思います。笑顔も出るくらい余裕も自信もうかがわせる踊りっぷりでした。


高学年の子達の踊りです。

ネパールでは18歳くらいから結婚する人も多いのですが、未だに親が決めた相手と結婚する場合が多いようです。自由恋愛の一般化にはまだ時間がかかりそうです。


式も終わって村人が三々五々帰って行った後の村の神様のほこらです。
静かな山に時折若者の声が響く、静かな時間でした。






2018年4月24日火曜日

ネパール地震の震源地 ゴルカへの道









ゴルカ出身のガイドのBBに会うために地震の震源地だったゴルカへ向かいました。こんな風にみんなで食事をすると外国人が払うのが当たり前にされることが多いのですが、BBは自分で払いました。
私の横がBB、その前が隣村出身のドライバーさん、私の前がBBと同じ村のBBの友達です。



出発前に記念写真です。BBが何を言ったのか言わないのか、みんなまだ緊張してますね。


道すがらのお店です。ごく一般的なネパールの山間部の店の感じです。



BBが自分の家族にお土産を買っています。ここはみかんが名物の地域だそうです。
ネパールの人も辛い物が好きです。唐辛子が随分たくさん売っています。


いよいよゴルカの山の中に入っていきます。
土埃が舞い上がります。前が見えなくなってドライバーさんが車を止めることも何度も。パルパとは違いますが、これもなかなか骨のある山道です。
 助手席はお客さん扱いの人の席なので、私は助手席に座らせて貰っています。まあ私がお金を出しますからね。(笑)
こちらのジープはミッションの隙間から下の地面が少しだけ見えることが多いのですが、このジープも見えていました。そして、右のような状況になるとその隙間から車内に土埃がどっと押し寄せます。
マスクは必需品です。(⌒▽⌒)


UターンUターンでほぼ同じ所を高度が変わって往復するような道では、自分たちの巻き上げた土埃が行く手をふさぎます。

左の写真のようになると土埃が収まるのをしばらく待ってから走らなければならりません。
途中で長い泥のぬかるみを通らなければならなくなりました。深さを測って、コースをて決めて、さあ乗り切るぞの場面です。2輪駆動でこの道は私にはちょっと....
埃か泥かしなないのかなあゴルカはといった感じでした。


途中でこんな場面に出くわし、彼が羨ましくなってしまいました。
パルパでは、こんなに沢山の水牛を飼っている人はあまりいません。
ゴルカは被災したけれど、もともとパルパよりは裕福な暮らしをしていたのかもしれません。