2015年3月16日月曜日

校舎引き渡し    2015 3校目の2

チャナンタール村の校舎と周りの山々を見たところです。
左の写真を見ると水に流された校舎の辺りが石だらけだと分かります。


私達は普通、鉄筋屋根の校舎を建てます。そうすれば、その教室の上にもう2教室建てるのは簡単だからです。余分な土地を買い求める必要もなく、レンガを積み上げるだけでもう2教室できますから。

でも、チャナンタールの場合にはもともとあった教室7個に戻してあげる方が優先されましたので、トタン屋根で建てました。県への陳情でも3教室ができあがっていました。Mさんにご寄附いただいたこの校舎は、できあがったばかりでした。

2棟あるうちの左側が私達の校舎、右側が県への陳情でできた校舎です。県への陳情でできた校舎は、国の援助も入っており、建築にかけられる期間が決められていたので、先に建てたとのことでした。私達の支援金の方が先に届いていたのですが、土地の購入が遅れて、着手できないでいたところに、完成期日の決められた支援金が入ったためにそうなったとのことでした。

ですから、私達が引き渡し式に出かけるという知らせを聞いて、急ピッチで仕上げたとのことです。


トタン屋根だと、明かり取りができて教室が明るくなります。
20年ほどするとトタンの張り替えが必要になってしまいますが、仕方ありません。

ここの校舎もかなり綺麗にできあがっていました。
はみ出さない、塗料のたれていない塗装を褒めると、「俺だ、俺だ!俺がやった!」と、嬉しそうに手を挙げる大工さんがいました。


村のはずれに、大きな木が立っていました。水が大きな石を運んで来た通り道からほんの少しの所に立つ木です。この木はきっと一部始終を見ていたんでしょうね。

セレモニーが終わって今日のベッドを提供してくれるお宅まで来ました。
まだ明るいうちにのんびりするのはこの日が初めてでした。
ちょっとホッとしてのんびりしているところです。

右のおじさんは酔っぱらい。もうすでにロキシーを飲んでできあがっちゃっています。
楽しい酒だから良いですけどね。メッチャ調子よくて、こちらが返事をするもしないも関係なくしゃべってます。(^_^;)


左下は、この前の投稿でも出した写真ですが、ひとつ説明し忘れました。魚の奥に見えるきのこです。今ネパールではいろんなことを教えに来てくれるネパール人のボランティアがいます。私達が行く少し前に、きのこの栽培を教えてくれるボランティアの方達がお見えになったようで、りっぱなキノコが育っていました。
私達に最初に食べさせてくれました。

右下は、セレモニーが終わってからおやつにいただいたもの。バナナ、ブドウ、リンゴと油で揚げたお菓子です。


翌朝次の引き渡し式をする村へ向かったのは、9時頃でした。
1時間くらいで到着できる村でしたので、余裕がありました。

ネパールでは学校は10時からです。遠くから通ってくる生徒もいますし、朝は家の仕事を手伝って9時頃朝食を取ってから学校に来る場合も多いのです。ネパールの人達は基本的に2食。9時頃の次は夕食です。

私達を見送りに、こんなに大勢の人達が集まってくれました。
「笑って~」って言って、こんな感じ。
基本、写真撮ろうとするとにらんじゃうんですよね。



村の様子の動画です。



2015年3月13日金曜日

校舎引き渡し    2015 3校目

3校目 ノワールプラシ県ラカチュリ郡 シャンカル小学校

D.ZEN Japan のホームページ「 The Pipe 」 でご寄附をお願いした、シャンカル小学校です。


Mさんお一人で平屋トタン屋根の校舎4教室分をご寄附いただきました。


のページでも、報告させていただいておりましたが、このたび無事完成し、引き渡し式に行って参りました。
この学校は、OKバジさんが支援をしているパルパ県にある学校ではありません。パルパ県とは川を挟んで数百メートル離れたところにある村ですが、パルパでのバジさんの活動を知っている村人達がバジさんのところに頼みに来たのです。

一昨年の雨期、この村の川にとんでもない量の水が押し寄せてきました。
彼らの村では、村人の家だけではなく学校の校舎7教室までが流されてしまったのです。
後に残ったのは、5メートルを超すような巨大な石をはじめとする数限りない石、位置の変わってしまった学校の校舎、石しか見えないような畑や運動場でした。


左下の写真は、畑だったところの土を水が削ったことで数メートルの落差ができてしまった村の入り口の様子です。

右下は、村の中央にほんの数メートルの川幅で流れていた川を上流に向かって見ているところ。
今、この川にはほとんど水が流れて来ません。よどんだ水に虫が湧いていました。


水の流れたところと流れなかったところの境界線がはっきり分かります。手前の石でも1メートル程はありました。咲いている野の花に、世の無常を感じてしまいます。


流された校舎。中途報告の時点では、右側にもう一つの校舎が残っていたのですが、危険なので取り壊したようです。左手前の石は大きかったですよ。長さは5メートル近くあったと思います。


村に着くと、大勢の村の男達が出迎えてくれました。炎天下の石だらけの所で随分前から私達の車を待ってくれていたようでした。悲惨な状況を目の当たりにした後に彼らが笑顔で迎えてくれたので、何だかそれだけで胸がいっぱいになりそうでした。

彼らがまず連れて行ってくれたのは学校。子ども達が拍手で出迎えてくれました。
手作りのアーチにWELCOMEの旗の前で、校長先生と運営委員長さんと私達で記念撮影でした。




記念写真の後は食事です。この日も到着したのは昼過ぎでしたから、まずは食事です。
蜂蜜や川魚は、ごちそうです。ガイドのビビも魚にはちょっと興奮気味。私達日本人には小骨が多くて食べにくいと思うような魚でも、滅多に食べられないから乾燥保存しています。



食後の休憩です。この日は、ここ泊まりなので時間があります。次の日に更に奥地に行くから、カリバンには戻らないからです。

時間があって左下の写真のように流れっぱなしの大量の?水に巡り会うと、バジさんは必ず身体を洗います。足を洗ってから洗髪です。リュックに持っている石けんを取り出し、無心に洗っています。

実は私もパルパに入ってから一度も風呂に入っていません。風呂なる物は、パルパの村々には存在しないのです。わき水での沐浴が彼らの習慣です。寒いときにはお湯を使ったりしますが、水は貴重な物ですから、無駄にはできないのです。まあ、気候が乾燥していますから、そんなに臭わないというのは事実なのですが.....

右下では米つき機を触らせて貰っています。


次は石臼。結構重いですよ。小さい頃にうちにあった臼よりずっと重かったですね。
バジさんは米運びに挑戦。50kgほどの米を頭にベルトを掛けて背負います。結構首に来ます。


左下は、ロキシーというお酒を造っているところ。材料は米です。ネパールには自家製酒を造ってはいけないという法律はありませんから、お酒は自分たちで造ります。
私がすくっているのは、実は冷却水。加熱してできた蒸気を冷却するための水なんですね。さすがに中の蒸気を逃がしたら怒られますから。醸造用アルコールなんか全く入らない、美味しい蒸留酒ができあがります。

右下で私が腰に下げているのは釜の入れ物。こんな風にするだけで、確かに刃が身体を傷つけることができなくなります。




いよいよ引き渡し式です。
マイクを持っているのは、5歳の子供さんを持つ若い校長先生です。資格があれば年齢はほぼ問題にしないのがネパール流。新たにできた運動場から周りを見ると、随分山奥まで来たなあという感じです。

テープカットです。
私がカットした後、バジさんが自分のはさみで私の袖をカットしようとするのを見て、村人は大喜び。おちゃめで村人に愛されるバジさんです。

バジさんの話に喜ぶ村人達。いつも村人を笑わせてくれるバジさんです。

右下は渡されたノートとペンを見て素直に喜んでくれる子ども達。今回の村々の中では一番純朴な人達が暮らす村だったかもしれません。

バジさんが持っているのは、私が日本から持って行ったチョコレート。
森永のDARSなんですが、子ども達に1粒ずつあげてます。チョコは持っていると溶けてしまうから、子ども達もすぐに口に入れます。強い子が弱い子のを取りたくなる心配もないし、何と言っても日本の普通のチョコは美味い。私はスイスやハワイのチョコよりDARSの方が好きかも。
私が貼っているのは夢シール。夢の話の後に渡すノート1冊1冊に貼ってあげます。

毛筆で私が書いた「夢」と D.ZEN Japan のロゴ、それに ”Have a dream.” の文字が印刷されています。話を憶えていてもらえるようにする為とノートを特別な物にするため。

小さな子が、シールが欲しくてやってきました。欲しがってもらえるのはとっても光栄だから、腕に貼ってあげました。他の人に見せていました。嬉しかったみたい。(^_^)

セレモニーが終わると村人達のダンスです。
パルパの人達は本当に踊るのが好きで、延々と踊ります。次から次にいろんな人が出て来て踊るのを見るのも好きなようです。


先生達の踊りの動画です。クリックしてみて下さい。











校舎引き渡し     2015 2校目

2校目の引き渡し式です。

この日、途中で元校長先生のお宅に寄りました。引き渡し式にご一緒して頂くためです。
その校長先生は、学校を大きくして、最後には自分の資格では校長ができなくなるなる所まで仕事をして、校長の座を潔く譲られたのだそうです。

トイレをお借りして出てくると、この方に出会いました。元校長先生のお母様だそうです。

ヒンドゥーの経文を書いたショールを羽織り、数珠を繰るこの方の姿に、その瞳の語る何かに魅了されて、私は釘付けになってしまいました。


左下の写真は、D.ZEN Japanのネパールで初めての支援、取水口の修復をしたチース村への登り口を過ぎたところにある茶屋からの景色です。
OKバジさんに手術代を出してもらったけれど長女が亡くなり、長男を車の事故でなくしたご夫婦がお店を経営されています。幸いにも生まれた次男が元気に走り回っていました。

峠の茶屋                        学校の裏の民家

右上の写真はD.ZEN Japan が建てた学校の裏の民家です。
手前は一階が家畜小屋、二階が穀物の貯蔵庫です。
一階には水牛と山羊が、二階にはトウモロコシが。


この日はちょうどこの学校の創立記念日。
絵入りの天幕まで張っての一大イベントになっていました。


ピンクの校舎が斬新な感じもしますが、逆にピンクにせざるを得ない何かが心の奥にあるのかと思ってしまうのは、私だけ?


校舎の中は、こんな感じに仕上がっていました。
まあまあの塗装ですかね。
セレモニーのために机や椅子が外に出されているので、がらんどうです。

そうそう、そう言えばネパール語の数字の「1」ってアラビア数字の9って書くんですよね。
教室に貼ってある大きな表が数字の書き方なんですけど、分かりますでしょうか。
2,3はアラビア数字風なんでわかりやすいんですけど、4は8かと思っちゃいますよね。
最初戸惑いました。

職員室には先生達でしょうか、3人の女性がいらっしゃいました。教具の地球儀の写真を撮らせていただきました。ネパール語の地球儀もおもしろいですね。


セレモニーには、小さな子達が出席していました。まだ、高学年の子達を受け入れるところまで行けていないようです。
随分長い来賓のお話を我慢強く聞いていました。日本の子ども達ならとっくに騒ぎ始めている頃でも結構静かです。開校記念日ということもあって、来賓の挨拶が長い長い。
人数が人数ですからたまりません。バジさんも通訳のビビも途中で抜け出しているので私1人です。一緒に行ってくれたシャンカルさんが写真を撮ってくれました。


今度は、私が抜け出して、バジさんとビビを撮影してきました。
とにかく話が長くて長くて、さすがの子ども達も気持ちがゆるんで小突きっこやおしゃべりが始まりました。
するとなんと、先生方の風船割りが始まりました。女の先生方が、足首に風船を付けて地面に書かれたサークルに入ります。合図があると、先生方が自分の足の風船を守りながら他の先生の風船を割りに行きます。
これで一気に子ども達の気持ちだけでなく大人の気持ちもリセット。なかなか上手ですねえ、我慢の続けさせ方が。


感謝状いただきました


いつも長い長いジープでの時間にも、時々ホッとするような景色に巡り会うことがあります。
この日の終わりにも、こんな景色に出会いました。優しい優しい春霞の夕暮れの景色です。