2018年6月25日月曜日

三教室続きの校舎 2018

郡長さんと途中で乗り合わせた隣の学校の先生とともに次の校舎の引き渡し式へ向かいます。

パルパでは、私がチャーターしたジープにバジさんと私が乗っていく場合でも、噂を聞きつけた人が最初から乗るつもりで道で待っていることがよくあります。

ドライバーさんが良しとしてしまうので、バジさんは基本的に乗せてはいけないと言っているのですが、それでも時々乗ってきてしまう人がいます。

まあ、一人ならしょうがないとバジさんも許しましたが、時には大勢で乗ってきて自分たちが騒いでしまったりする人達もいるので要注意です。σ(^_^;)

セレモニーの準備ができるまで食事と休憩をさせていただいて、いよいよ新校舎へと向かいます。上の写真でバジさんが指さしているのが今回出来上がった三教室続きの校舎です。
子ども達に立派な出迎えをしてもらいました。

なかなか立派な一連の校舎です。村人も総出で出迎えてくれています。

こんな行事はめったにないので、お年寄りもみんな集まっていました。司会役の女性の先生が、きびきびとした感じで式を進めます。

写真のおじいさん達もセレモニーのお話を聞いていました。山の生活しか知らないで一生を過ごされた方かもしれません。純朴な土地の長老さん方でしょう。



 若い娘さんがバジさんや私や郡長さんにカタ(尊敬や感謝を表す布)を掛けてくれました。

除幕式の栄誉を私に下さったので、私がやらせて頂きました。立派な印刷物が出て来てビックリです。司会の方が会場の方達に書かれている内容を説明しているようでした。

的確に慌てずにきちんと説明している感じが伝わってきて、パルパにもこんなふうに自信を持って物事を進められる女性がでてきているのだと、時代が進んだことを感じさせられました。

序幕の次はテープカットです。司会の彼女に確認しながらきちんと指示にしっかり従ったつもりです。

 次はバジさんのテープカットです。
 そして、その次は郡長さん。
 三教室続けてのテープカットは  久しぶりです。
 地元のおばあちゃま達もお孫さ  ん達と一緒にセレモニーを見に  来ています。

”TOKEN OF LOVE” 『愛の証』と書かれたTシャツを頂きました。

お年寄りから小さな子ども達まで、心から喜んでくれるセレモニーに参加できるのは、本当にありがたいことです。

バジさんはこの頃、ネパールの人達と同じようにピンクが好みになったようです。もう、感覚もネパール人になっていらっしゃるところがあるのかもしれませんね。


教室の中です。 明かり取りの部分が大きく取られています。

日本人の目から見ると床にこぼれた塗料が気になるところですが、こちらの方達にはそれは些細なことにしか写らないようで、どこの学校へ行ってもこんな状態がよく見られます。この状態でも、みんな大満足なんです。

Hさんご夫妻、立派な校舎をありがとうございました。

山歩きで面倒見てもらい、ロキシーで筋肉痛もとってもらった郡長さんとツーショットです。お世話になりました。

右の写真は左から、私、郡長さん、OKバジさん、校長先生、隣の学校の先生(なぜこの写真に入っているのか謎ですが、みんなあんまり気にしないみたいです) (⌒▽⌒)



















ひと山越えて次の山まで 2018

次の校舎の引き渡し式のある学校までは、車が使えませんでした。

山を一つ越えて次の山の中腹にある郡長さんの家まで徒歩で向かいます。車で行ける最後の所にある学校で待ち合わせです。

山の上のこの学校はモデル校として作られたものだそうで、トイレからバレーボールコートまで、整然と作られていました。敷地の周りに金網まで付いている学校は初めて見ました。



郡長さん達が来るまで、休憩です。
バジさんに陳情に来る人達のための部屋がこの学校にはありました。右の部屋の手前が陳情室、奥がバジさんの寝室として作られています。
村人達がバジさんに聞いて欲しい話があったので、私はバジさんの部屋を借りて昼寝をしました。


昼寝の後は郡長さんの村まで歩きです。「1時間半程度の距離ですよ。」というバジさんの言葉は、その前提としてバジさんと同じように歩けばという条件が付きます。

これは既に30分ほど歩いて下り坂の途中で出会った景色です。この坂を下って谷底まで行ってから向こうに見える集落までの歩きです。既に膝は笑っていますし、これから1時間で向こうまでいける気がしません。σ(^_^;)

はい。やっぱり行けませんでした。

この後、落ち葉で道が覆われた、とんでもなく急な坂道を降りることになりましたが、滑る落ち葉に足を取られて3mほど滑り落ちてしまいました。荷物は持って頂いていましたし、身軽なはずだったのですがやられました。すると郡長さんがメチャクチャ心配してくれて手を繋いでくれました。お客さんに怪我をさせるわけにはいかないという思いはひしひしと伝わってくるのですが、実は手を繋いでもらわない方が歩きやすいんですよね。σ(^_^;)

白いランニングシャツを着ているのが郡長さん
急な下り坂が終わったところで手は離してもらえましたが、もう足も膝もバリバリに固まっています。何せ今までのネパールの山歩きで一番急な下り坂でしたからね。その後の登りは息の根も絶え絶えで足がなかなか進みません。郡長さんも「休んで、休んで。」とスローペースを進めてくれます。

で、まあ何とか郡長さんの村に着きました。バジさんには1時間半、私には3時間の山歩きでした。σ(^_^;)


嬉しい事に郡長さんの村にD.ZEN JAPANが建てたバイオガストイレがありました。
もう夕暮れ時になってしまいましたが、おやつタイムが始まりました。ネパールでは朝の仕事をし終えてから9:00頃に朝食を食べ、2:00頃にお茶をして、あとは夕食というのが一般的です。
郡長さんの奥さんがおやつとロキシーをくれました。えっ?おやつに酒?しかも30°以上もある酒???

すると郡長さんが「ロキシー飲むと筋肉痛が治るんですよ。」と笑いながら。

えっ?マジですか?と半信半疑ながらグビグビと。晩ご飯でもホットロキシーにしてグビグビと。
なにせロキシー好きですから。(⌒▽⌒)

翌朝起きるとビックリ!!( ゜Д゜;)!?

昨日は椅子に座ったら立ち上がれないほど筋肉痛だった太ももの痛みが随分軽くなっています。昨日は手をついて補助をしながらでないと動けなかったのに補助なしでベッドから降りられるのです。おお~!

朝ご飯の時に話すと、一日中きつい肉体労働をするときには飲みながらやることが本当にあるんだそうです。恐るべしロキシーです。













2018年6月19日火曜日

小さな村の小さな水場 2018

山の上に寄り添うように集まっている民家十数件がありました。他の村とは隔絶されたような感覚を持つ村でした。

そこに水場ができました。

村の人達がバジさんに水場を作ってくれと言い出せなくて、取り残されたようになっていたようです。

郡長さんが、あまりにかわいそうだからと、バジさんに頼んでくれたのだそうです。

困っていても言い出せない人達。
地位もお金もなく、教育を受けられなかった人達が黙って耐えていることがこの国ではよくあるのです。


遠い水場に毎日水汲みに行っていたようです。

右上の写真の細い黒い塩ビ管でその遠くの水場から村の中へ水を引っ張ってきました。

この塩ビ管で引っ張ってこれるほど、少量の水なのです。でも、少量の水を汲みに行くのと、ここに溜めた水を汲むのでは、全く違います。現地まで汲みに行っても細々と流れる水を20㍑の水瓶に入れるには、随分の時間が掛かります。それを、この村の人達は我慢して順番に並んで水を汲んでいたのです。

でも、もうそんなに長い時間待たなくてもよくなりました。ちょろちょろとした水でも昼夜を問わずこのタンクに貯めることで、水は蛇口をひねればジャーっと出るようになりました。

村人達が使う蛇口は村の中に作られており、高い位置に貯めた水は落差の力で勢いよく蛇口から流れ出るのです。


Aさん、ありがとうございました。喉から手が出るほど欲しかったのに欲しいと言えなかった人達の所へ届きました。


テープカットをして、タンクの鍵をバジさんに開けてもらって村人達は村の広場に戻りました。
蛇口から水が出るのを見てくれと言われて蛇口をひねってみました。
日本の水道のように勢いよくは出ないのですが、村人達にとってはこの水の流れる光景がこの上ない喜びとして目に映るようです。


この写真の彼が、この村で一番教育を受けている人らしく、セレモニーの進行役を務めます。とても若いのですが村の人々にとっては彼が頼りなのです。

会計報告がなされ、村人にもバジさんにもお金の流れがここで報告されました。

そして、そのあと彼は申し訳なさそうにバジさんと私に話してくれと言いました。村には、お礼のスピーチができるような人がいないというのです。




バジさんのトークが弾けます。村人大喜び。
この村の人達は私達にTシャツを作ってくれました。背中に書いてあるのは「愛の証」という意味のネパール語だそうです。

最後は頂いたネパール帽(パルパの名産品の織物で作った帽子)、カタ(感謝や尊敬を表現するための布)、Tシャツ、感謝状を持って記念撮影です。

バジさんが緊張していた村人達の気持ちをほぐしてくれたので途中からリラックスした良いセレモニーになりました。


次への移動の途中でバレーボールの試合をやっているところがありました。

きちんとしたバレーボールコートをつくり、ユニフォームも靴もきちんと履いた選手達が試合をしています。

ネパールの山の中にもスポーツというものが根ざし始めているようでした。






先生のお給料基金 2018

前回の山の上にコンピューター教室を作った学校のお給料基金の先生
今までの先生のお給料基金でお仕事をして下さっている先生方に水場の引き渡し式に向かう途中でお会いしました。

報告写真が随分遅れるのですが、今まで250校以上の学校を建てられてきたバジさんは、お給料基金を渡した学校で実際に働くことになられた先生方にお会いする機会が滅多にないからです。

お給料基金のシステムはこうなっています。
お給料基金として届いたお金は、バジさんから村々の学校の運営委員長さんを通して村の長老会、婦人会、青年会に渡されます。
そして、そのお金は小口貸し付けの資金として、利子を生む村のお金として運営されます。村人の中で基金のお金を借りた人から1ヶ月分の利子が届いたときから先生のお給料が初めて発生するわけです。


先生のお給料基金が届いたら、まず村でお金を誰に貸し出すかを決めます。
町の高利貸しは、その人に返済能力、あるいは返済する気があるかどうかが判断できません。村の人々には担保になるようなものがあるわけでもなく、返済されるかどうかギャンブルのような状況で貸し出すとしたら、かなりの利率をつけておかないと商売になりません。ですから、村人には簡単に借金ができないような高利率になっています。


しかし、村のお給料基金はそれより随分低金利です。ただ、返せるかどうか不安な家庭には村の人は貸し出しません。あの家に貸し出したら、そのお金でご主人が酒を飲んでしまって返せなくなるなどという可能性のある家には絶対に貸し出しません。村内ですからお互いのことがよく分かっているので、貸し出すか貸し出さないかは高利貸しよりもよほど厳しいのです。貸したお金が返ってこなくて利子が入らなくなったら先生のお給料がへってしまい、先生が来てくれなくなるのが分かっていますから。



私達と同じで最初の資金があればできることも、それがなければ始めることができません。
子ヤギを買うお金があれば、大事に育ててミルクを売ったり、子供をたくさん育てて売ったり、肉として売ったりすることができても、その子ヤギを買う1万円がないのです。
ところが、その1万円が先生のお給料基金から借りられるとなれば、それを借りない手はありません。高利貸しに比べれば格安で、しかもお金を返しに町まで出かけなくとも良いとなれば、こんな便利なことはないのです。



今までホームページで先生のお給料基金を募ってきましたが、なかなか現地に送れるまとまった金額にならず、何年も送金できないでいました。

このお二人は今回の支援でお給料を出している先生方ではありませんが、今までの送金で実際にお仕事をして下さっている先生方のご報告がまだでしたので、バジさんのお願いしてお二人の先生方にお会いしてきました。

今回の送金分はバジさんから領収書を頂きました。ご報告が思うようになりませんが、ご理解いただければ幸いです。



2018年6月16日土曜日

山の上の幼児教室引き渡し式 2018

今年は、山の上に小さな幼児教室ができあがりました。
色々な方からのご寄附で色々なものができあがってきますが、この幼児教室は今までの中で一番山の中かもしれません。

地理的になのかあるいは経済、文化的になのかはわかりませんが、ここの子ども達の純朴さは顔に表れている気がします。
外国人の私がちょっと怖いのかなと思えるような様子でした。


村人総出で出迎えてくれたようで、皆さん思い思いの場所に座ってセレモニーに参加しています。








今回は私が序幕もテープカットもさせて頂きました。バジさんが写真を撮って下さいました。ネパールの方にお願いすると、ぶれぶれになってしまうことが多いので助かります。

子ども達の顔を見ても分かるように、本当に嬉しそうです。

これで遠い学校まで歩いて通えない小さな子達が、この学校で勉強することができるようになりました。



細かなところを見ても、きちんとしていて、塗料が飛び散っていたり、木材が半端になっていたりするところがありません。

この村の人達は、とても多くの労働奉仕をしてくれていましたし、本当に大事に大切に作ってくれたのが分かる建物でした。


少ない人数ですが、セレモニーもしっかりやってくれました。
一番涼しい日陰にバジさんと私を座らせてくれました。ありがたい心遣いです。



小さな水差しを頂きました。
この水差しはパルパの名産品です。地元の人がこれを使っているのは見たことがありませんが、水差しの水は注ぎ口に口を付けずに直接口に水を入れる形で飲むものです。

感染症での死亡が死因の第一位をしめるネパールでは、決して人の飲んだものを飲むことはしませんし、食べ物も人の食べかけは食べません。

村の代表の方に、小切手を渡しているところです。
D.ZEN JAPANからバジさんに送金した寄付がバジさんの口座から小切手として地元の方に届く瞬間です。



バジさんが本の紹介をされています。
この本は、桜井ひろ子さんがお作りなった『バジラーハ(バジが来た)』という日本語とネパール語(ひょっとしたらマガール語かもしれませんが...)で書かれたものです。

OKバジこと垣見一雅さんがネパールに住んでからの20年をまとめたもので、桜井さんにしか書けないバジさんの宝石のような言葉が大切に書かれています。
Aさん、ありがとうございました。素敵な学校ができあがりました。